
ようこそ、素晴らしき本の世界へ。
ここからは私が案内人となって、このシリーズを進めていきたいとおもう。
前回までの流れを知りたい方は、以下のリンクから参照してほしい。
👇このシリーズの前回までの記事
【悩んでいる人へ】発行部数15,000,000部超!デール・カーネギーの『道は開ける』が教えてくれること

これ以降は『道は開ける』という本自体の解説をしていくことになる。
今回はデール・カーネギーはいかにしてこの本を書いたのか―。いわば、この本の「背景」についてみていこう。
人生への絶望
著者デール・カーネギーは1939年当時の自分を「ニューヨークでもっとも不幸な青年の一人だった」と振り返っています。
トラックにはまるで興味もないのに、それでも生きるためにトラックの営業をしなければならない日々を繰り返す毎日―。
仕事を終えて帰るのは、ゴキブリで溢れかえるボロ部屋です。
そして、なにより彼が許せなかったのは、かつて描いていた自分の夢が叶わなかったこと…。
失望や悩み、苛立ちからくる偏頭痛に悩まされる日々をすごしました。

この本が書かれた1940年代は第二次世界大戦の真っただ中。1945年に大戦が終結すると、今度はアメリカとソ連の冷戦が始まったり、1948年に第一次中東戦争が始まったりと戦禍が絶えない時代だったんだね。
決断の時
金儲けには興味はなかったが、人生を豊かにすることへの憧れはあった。若者なら誰しもが直面する重大な岐路に当時の彼は立っていました。人生の門出における、決断の時です。この決断によって彼の人生は一変したのです。
まずは嫌気のさした仕事から足を洗うことにしました。もともと彼が志したのは教師でした。
夜間学校の成人クラスで講義をしながら、昼間は好きな本を読み、本を執筆してみたい―。彼の望みは書くために生き、生きるために書くことだったのです。
夜間学校では何を教えようか?―
考えた結果、自分が学んだもののうちで最も役立った「話し方訓練」を選択する結論に至りました。
学生時代に受けたこの訓練が、カーネギーの臆病心と自信不足を吹き飛ばし、他社と接する勇気とコミュニケーションを与えてくれたからです。

カーネギーはミズーリ州立学芸大学卒とこの本の中では書かれているが、実際にはそのような大学は見当たらないんだ。ただミズーリ州立大学の教育学部は全米でも高い評価を受けている学部のひとつ。おそらく彼はここの卒業生ではないだろうか。
話し方を教える
コロンビア大学とニューヨーク大学の夜間公開講座の講師となることを願い出るがどちらも断られ、結局はYMCAの夜間学校の成人クラスで教えることになります。
YMCAで行うことになった「話し方教室」―。ここでは結論を具体的に、かつ時間をかけないで指し示す必要がありました。このクラスに集まった人たちは資格や名声のために通っているのではなく、個々人の問題を解決するために講義を受けに来ているからです。彼らが求めたのはただひとつ、立身出世だったのです。

YMCAは、正式には「キリスト教青年会(Young Men’s Christian Association)」といい、キリスト教主義をベースに、教育・スポーツ・福祉・文化など様々な分野で事業を展開する150年以上の歴史がある世界的な組織なんだ。
成人クラスは、働きながら通っている人が大半で時間的余裕が学生に比べて少ない。もちろんお金もかかるから、みな真剣に講義を受けるわけなんだ。
授業料は分割払いだったので、彼らの期待にそぐわなければ授業料を払ってはもらえませんし、カーネギー自身の給与もまた歩合制だったので実用的な内容が求められます。ここで彼の力量が試されたのです。
初めは一晩に5ドルの賃金さえ渋っていたYMCAが30ドルもの報酬をくれるようになりました。

何も失うものの無い人間は強い。なすべきことが自分の興味のあることならば、なおのこと。
ちなみに当時の1ドルは現在の25ドルに相当するので、30ドルだと現在の84,000円くらいの価値があるね。
※当時:1910年前後、1ドル:112円換算
成人クラスから生まれた2冊の名著
当初のうちは話し方だけを教えていたカーネギーでしたが、もう一つ生徒にとって必要な能力があることに気づきます。
それは友人のつくり方であり、他人に影響を与える能力―。
この能力に関して、出版されているテキストでよいものが見つからなかったので彼は自分でつくりました。受講生たちの経験をもとに執筆したのです。
夜間学校の成人クラス用につくったそのテキストは後に『人を動かす』という名で刊行されました。

1937年に出版されたこの本は世界累計で約1500万部、日本でも約430万部を売り上げる超ベストセラー。この手の本がこれだけ売れるのは異例なことなんだよ。
出版から80年以上もの間に渡り、世界中の指導者や著名人などにも影響を与えつづけたともいわれている本だね。
さらに年月を重ねるうちにもう一つ、受講者にとって重大な問題が明らかになります。「悩み」です。
早速、悩みについての探索が始まりました。
しかし、当時刊行されていた悩みに関する本は数えるほどしかなく、そのどれもがクラスでテキストとして使えるような内容のものではありませんでした…。
『人を動かす』の時と同様に、彼は「悩み」についての実用的な書を自ら執筆することにした。これこそが『道は開ける』という本の出発点でした。
『道は開ける』の執筆過程
彼はどのようにしてこの本をつくり上げたのでしょうか?
彼がしたことは、過去をさかのぼり、あらゆる優れた思想家や賢者が残した悩みに関しての記述を読み漁ることでした。孔子からチャーチルに至るまでありとあらゆるものを―。
それと同時に、当時の各界著名人にインタビューをし続けました。過去と現在の”悩みの種”を網羅しようとしたのです.

インタビューを行った人物たちは、
- ジャック・デンプシー:伝説のボクシングヘビー級王者。
- オマー・ブラッドレー:WWⅡで陸軍を率いた有名な将軍。
- マーク・クラーク:WWⅡで陸軍大将を務めた。
- ヘンリー・フォード:自動車大量生産の礎を築く。
- エレノア・ルーズヴェルト:32代大統領の妻であり活動家。
- ドロシー・リュックス:著名な新聞コラムニスト。
など、そうそうたる顔触れ。ちなみにこれはほんの一例で、このほかにも多くの有名人にインタビューを敢行していたようだね。
彼がしたことはこれだけではありません。読書やインタビューよりも遥かに有益だったと振りかえぅて語るのは、自身が受け持つ成人クラスでの実験でした。
悩みの解消法について原則を示し、生徒に実生活の中で原則を応用してもらい、その結果がどうであったかをクラス内で話し合ってもらいました。
カーネギーは自身が行ったことについて、科学的アプローチと本質同じだということを自負していました。
本に書かれている、悩みの解決法について
この本では、実際の生活の中で悩みを取り除くのに良い結果をもたらし、かつ時間のふるいにも耐えうるような原則を集めています。
しかし、このような原則は目新しいものではなく、ともするとありふれたものかもしれません。ありふれてはいるけれども、普段あまり実行されていない原則でもあります。何も新しいことを学ぶわけではありません。
最後に
今回は、本の生い立ちとカーネギーという人物についてスポットを当てました。
ただ、重要なのは「本の生い立ち」ではなく、悩みを解決するためにとる「行動」です。これは彼自身が言っていることです。
今回の記事のくだりについては省略しようかとも思いましたが、この本がつくられた背景を紹介することで著者が何を重要視してこの本を書いているのかを知ることができます。
次回からは、いよいよ本題。悩みを解決するための「行動」について解説してみたいと思います。

この記事は『道は開ける』の内容をベースとして、また一部を引用しているが、基本的には個人の見解によるものである。
本家デール・カーネギーの著書に及ばないことはもちろん、細かいところが間違っていたり、そもそも要旨がぶれている可能性もある。
つまり、このブログだけではなく本物の『道は開ける』もぜひ手に取って読んでみてほしい。悩み多きあなたの、頭のもやを振り払ってくれることだろう。
それでは次回にまたお会いしよう。