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真理は本当に存在するのか?哲学者カントは、こう答えた。

【15秒でわかる】カントとは?

1724年〜1804年

出身地:ドイツ・ケーニヒスベルク

18世紀を代表する哲学者であり、近代哲学の祖。

若い時に両親は死去し、経済的に困窮した青春時代を過ごす。

代表作である『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は、晩年に膨大な年月を費やして書かれたものである。

散歩するカントを見て、町の人々は時計の時刻を合わせた…というエピソードがあるほど規則正しい生活を送る。

画像出典:Wikipedia

目次

【批判哲学】カントさんの回答は…

真理とは、人間によって規定されるものである。

人間同士で共有できるものを、「真理」と呼ぶことにしましょう。

神や科学までも疑うほど、徹底していたヒュームの懐疑論

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真理は本当に存在するのか?哲学者ヒュームは、こう答えた。 デカルトへの批判から生まれた哲学体系の一つに「イギリス経験論」があります。経験論とは、「人間の知識や思考というものは、すべて経験によるものである」という考え方です。 ヒュームはその経験論を極限まで突き詰めた哲学者です。ヒュームはその経験論を「懐疑」によって完成させます。誰もが信じて疑わない常識を土台ごとひっくり返したのです。

しかし、彼には決定的に欠けているものがありました。

徹底した懐疑を行いながらも、デカルトのように懐疑を乗り越えられるような「強い答え」を見つけ出す姿勢です。

懐疑しているだけでは何も始まらないのです。

さて、そんなヒュームの考え方に後頭部をバットで振り抜かれたかのような衝撃を受けた人物がいました。

その人物は、もともとはデカルトと同じく理性重視の哲学者でした。理性を活用すれば真理に到達すると、彼は信じて疑いませんでした。

ですが、彼はヒュームの懐疑論という優れた哲学を知り、驚愕すると同時に自分の考えの甘さに直面します。

ぐはっ!

しかし後に、彼はヒュームの懐疑を逃げること無く真正面で受け止めながらも、それを払いのける大偉業を成し遂げるのです!

その人物こそが、【批判哲学】のカントです。

● 否定

● 懐疑

● 非難

「批判」と聞くと、上記のようなイメージで捉えてしまうかもしれませんが、それは大きなマチガイ

カントの言う「批判」とは、「出来ること」と「出来ないこと」の線引をする…という意味なのです。

おーし、これ終わったらメシにすっぺぇ

批判哲学とは、「理性(科学)」の能力と限界を見極める哲学である。

では、カントは具体的にどのようにしてヒュームの懐疑に立ち向かったのか?

それはカントの感じた、とある疑問から始まります。

数学や論理学など、異なる経験をしてきた者同士でもいつかは同じ答えにたどり着く学問がいくつも存在する…。

すべての知識や概念が人間の経験からつくり出されたものであるならば、どうしてこのような学問が存在するのだろう?

なにやら小難しいことを言い出したので、もっとわかりやすくしてみます。

「小麦粉と聞いて、連想する食べ物はなんですか?」

この問いに対して、答えの傾向は各国でおそらくバラバラでしょう。たとえば、こんな風に。

  • イタリア人なら、パスタかピザ
  • フランス人なら、パン
  • 中国人なら、ラーメンか肉まん

対象を日本人に限定しても、結果は同じです。大多数が「うどん」と答えるでしょうが、関西圏では「お好み焼き」「たこ焼き」と答える人も少なくはないでしょう。

では「1+1は?」と聞かれた場合はどうでしょう?

イタリア風な回答も、中国式の回答も、関西風も関東風もありません。

答えは「2」しかないのです。(※ジョーク的な回答を除く)

どちらも「問題」という意味では同じですが、構造的には別物なのが理解できると思います。

この程度の発想ならカントじゃなくても思い付きそうなもの。もちろん、カントの思考はこれよりも抽象的かつ高度なものです。

ヒュームの言うように、人間は経験から知識を得ているのは確かである。

だが、経験の「受け取り方」には、人間として「共通の形式」がある。

この「共通の形式」は、人間という種として生まれつき備わっている先天的なものです。

どのような経験であっても、この「共通の形式」で物事を経験しているので、人類全体で共有可能な学問が成立しているわけです。

「共通の形式」の範囲内においては、みんなが合意できる概念をつくり出すことができる。

よって、普遍的な真理を打ち立てることは可能である。

カントはどこまでもクレバーでした。

以上のような「真理は導き出せる」という主張の後に、自ら注釈を添えます。

ただし、あくまで「人間」という種にとっての真理ではあるが。

●異なる種の生物

●宇宙人

●モンスター

話が通じない奴ら。

このような、「共通の形式」を持っていない他の生物とは真理を共有できないということを、カントは前もってことわりを入れています。

結局のところ、人間は「人間にとっての世界」「人間にとっての真理」までにしかたどり着くことはできません。

真理とは人間によって規定されるものである。

ここがカント一番の見せ場です。

「人間よりも上位の存在であり、森羅万象・生きとし生けるものを網羅する普遍的なものこそが真理」という、それまでの常識を覆します。

つまり、「真理」と「人間」の立場を逆転させてしまったのです!

  • カント以前・・・真理>>>>>人間
  • カント以降・・・真理<人間

この主張は、普遍的な真理を追い求めていた当時の哲学者に計り知れないほどのインパクトを与えます。

これがキッカケとなり、「この世の真理」を追い求めるロマン的な方向性から一転し、「人間にとっての真理」という現実路線に変わっていきます。

カントの登場は、人類の真理を追い求める旅にとって大きなターニングポイントとなったのです。

カントの答え

真理とは、人間によって規定されるものである。

真理は、人間が決めるものなのです。

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